時は永遠の旅人なり

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人の執念恐るべし!!

三国志の英傑の一人、魏の曹操(155-220)の墓が見つかったらしいですね。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20091227-00000019-scn-cn

曹操といえば、三国志演義の影響で悪役のイメージが強いですけど、

優れた武人・政治家・詩人でもある人物です。

三国志の中でも、尊敬できる人物の一人です。

彼がいなければ、中国の歴史もだいぶ変わったと思います。

彼を評する言葉に、月旦評という言葉の語源となった許劭(150-195)が、

子治世之能臣亂世之奸雄 
(治世の能臣、乱世の奸雄)


と評したのが有名です。

正にそのとおりの活躍をした人物だと思います。

武将や政治家としての活躍は言わずもがな。

詩人としても有名で、息子の曹丕(187-226)、曹植(192-232)らとともに、

建安文学として、中国の詩の様式を決めたと言っても過言ではありません。

※建安文学には、建安七子(孔融・陳琳・徐幹・王粲・応瑒・劉・阮瑀)もおり、彼らだけではありません。



そんな曹操ですが、自分の死後、墓が盗掘に遭わないようにたくさんのダミーの墓を用意しました。

それが、曹操の死後、1800年近く経って発見されるのですから、

曹操もあの世から人間の執念に、舌を巻いていそうですね(笑)

何故、曹操の墓であると断定したのかというと、

①遺骨は60代男性のもの

 曹操は66歳で亡くなっているので、合致。

②魏武王と書かれた石碑があった

 曹操が死去した時、後漢王朝から魏王に封ぜられており、諡号(しごう)として武王を贈られたからです。

 偶に、曹操が皇帝になった勘違いしている人がいますけど、

 魏の初代皇帝は息子の曹丕です!!

③出土品がその頃の年代のものである

 etc



といった具合で、発見された墓が曹操のものであると断定したみたいです。
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[ 2009/12/28 11:26 ] 三国志 | TB(0) | CM(0)
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